
12年の時を経て・・・
2014年に、「オクシタニア的講義のつくり方」というコラムを書きました。
実は今、この時まさにつくっていた「手帳学」の講義をリニューアルすることになり、久しぶりにこの記事を読み返してみました。
12年前の自分が書いた「講義のつくり方」。
読んでいて、ちょっと面白いことに気づきました。
基本的な作り方は、今もほとんど変わっていません。
2014年の私は、こう書いていました。
私の講義のつくり方には流れがある。
- 枠をつくる
- 中身を入れる
- 削る
- 整える
何度もこれらを繰り返して、かたちにしていく。
具体的には、当時講義をつくっていた自由大学の枠でもある「90分×5回」という枠をまずつくる。
90分のタイムテーブルをつくり、議題とポイントを簡潔にまとめる。
そこに中身を入れていく。
入れすぎたら削る。
足りなければ足す。
順番を変える。
何度も行ったり来たりしながら、講義のかたちを整えていく。
これは、今も変わっていません。
では、何が変わったのか。
最近になって「構造」という言葉を使うようになって、ようやくわかってきました。
私は、あの頃からずっと構造を見ていたのだと思います。
ただ、当時はそれを「構造」とは呼んでいなかった。
枠は思考を制限するものではなく、思考を展開するための足場だった
2014年の私は、まず講義全体の枠をつくっていました。
「何を話すか」より先に、「全体をどういうかたちにするか」を決める。
今になって考えると、これはまさに構造をつくる作業です。
その枠の中に中身を入れ、情報同士の関係をつくっていく。
そして削る。
「これは必要か?」だけではなく、「この構造の中に置く必要があるか?」を考える。
最後に整える。
順番を変え、説明の量を調整し、実際に話してみてまた直す。
この流れを何度も繰り返して、講義をかたちにしていきます。
「言語で考えていない」私にとっては、まずは構造が先にあって、構造の上に言葉を乗せている・・・そう考えると、これまで自分がやってきたことが、急に腑に落ちました。
私は、言語で考えていないという気づきについてはこちらを

言葉から考え始めるのではなく、まず全体のかたちをつくる。そのために、私には「枠」が必要だったのです。
講義ではなく、「学び」を設計していた
そして今回、手帳学をリニューアルしていて、もう一つ気づいたことがあります。
これまで「手帳学」はひとつの講義として存在していたのですが、実は今回リニューアルするのはその前段階のステップとしての「手帳学(入門)」の講義をつくることなのです。
先にできていた「占い学」の講義も(初級)→(中級)→(上級)というステップになっています。
どうしても、作ろうとすると、ひとつで完結することがなく、ステップになってしまうのです。
「まずここを知ってもらう」
「その上で、次の段階に進んでもらう」
「ここでは全部を教えず、次に自分で考えられる余白を残す」
私は講義をつくっていたというより、学びそのものを設計していたのです。
そう考えると、2014年からやってきた「枠をつくる」という作業も、少し違って見えてきます。
私は、講義という箱をつくっていたのではなく、人が学んでいくための流れをつくっていたのです。
変わったのは「作り方」より「見えている範囲」
だから、2014年から2026年までの変化を「講義の作り方が進化した」とだけ言うと、少し違う気がしています。
もちろん、できることは増えました。
経験によって判断も早くなりました。
以前は感覚的にやっていたことを、今は言葉にして説明できることも増えました。
でも、もっと大きな変化は、自分が何をしているのかが、以前より見えるようになったことなのだと思います。
2014年の私は、
「この順番の方がわかりやすい」
「ここは削った方がいい」
「まず枠をつくろう」
と考えていました。
今はそこに、
「なぜこの順番なのか」
「この情報は全体のどこに位置するのか」
「ここで学ぶ人の理解がどう変化するのか」
という視点が加わっています。
そして今は、講義単体だけでなく、「この人が、ここからどこへ進んでいくのか」というところまで見ています。
つまり、昔からやっていたことを、今は「構造」という言葉で捉えられるようになった。
そんな感じです。
「構造」という言葉が、過去をつないでくれた
「構造」という言葉を使うようになったのは、最近のことです。
でも、その言葉を手に入れてから、過去の自分の仕事を見返すと、いろいろなことが違って見えてきました。
講義だけではありません。
何かを説明するとき。
文章を書くとき。
人に何かを届けるとき。
道具をつくるとき。
私はどうやら昔から、「何を持っているか」よりも、「それをどう配置して、どう動かすか」を見ていたようです。
それがあまりにも当たり前だったので、自分の仕事の核だとは思っていませんでした。
2014年の記事を読み返して、初めて、「ああ、私はこの頃からずっと、こういうことをやっていたんだ」と気づきました。
2014年から変わらないもの
12年前の自分が書いた、
枠をつくる。
中身を入れる。
削る。
整える。
という言葉は、今読んでもそのままです。
変わったのは、その作業そのものではありません。
その作業をしている自分が、何を見ているのか。
そして、どこまでを一つの構造として見ているのか。
そこが変わったのだと思います。
2014年の私は、講義をつくっていました。
2026年の私は、講義の構造をつくり、その先にある「学びの流れ」まで設計している。
でも、もしかすると、やっていたことは最初から同じだったのかもしれません。
昔から見ていたものに、今になって「構造」という名前がついただけなのだと思います。
2014年の「オクシタニア的講義のつくり方」
12年前の私が、どんなふうに講義をつくっていたのか。
当時の記事はこちらから読めます。

そして、読み返してみると、今の自分につながっているものが、思っていた以上にたくさん残っていました。
こうして過去の記事を読み返してみると、自分が何を考えてきたのかだけでなく、何をずっと変えずにやってきたのかも見えてくるものですね。
