
手帳が続かないって、どういうこと?
手帳学をやっていると、ときどき「手帳が続かない」というお悩みを聞きます。
そのたびに、私は心の中で思っていました。
オックン。教授「手帳が続かないって、どういうこと?」
いや、もちろん意味はわかります。
買ったときはやる気満々だったのに、1か月もすると書かなくなる。
毎日書こうと思っても、いつの間にか書かなくなっている。
そういうことですよね。
でも、私自身には、どうもその感覚がよくわからなかったんです。
私の手帳の習慣は、小学校の日記から始まっています。
だから、「手帳を続けるために努力した」という記憶がない。
日記を書いていた。
そのうち手帳を使うようになった。
手帳の使い方も、ずいぶん変わってきた。
ただ、それだけです。
もしかすると私は、手帳を「続けてきた」というより、ずっと何かを書いてきただけなのかもしれません。
そういえば、英語もそうだった
最近、英語の勉強をしています。
……と言っても、「毎日○時間勉強する」というようなものではありません。
この日本語って英語では何て言うんだろう、と調べたり。
英語の本を読めるようになりたいと思って、単語を覚えたり。
気になった表現を手帳に書いたり。
英会話をしてみたり。
こちらも、何かを「継続しなければ」と思ってやっている感じではありません。
でも、やめるつもりもない。
たぶん、英語が私の中で必要だからです。
ジムもそうだった
そういえば、ジムもそうです。
「運動を習慣化しよう!」と意気込んで始めたわけではありません。
身体を動かしたほうがいい。
だから行く。
行ったら歩いたり、少し筋トレをしたりする。
しばらく行けないことがあっても、それで「私は運動を続けられなかった」とは思わない。
また行けるようになれば行く。
こうして並べてみると、私はどうも「続ける」ということを、少し違うように捉えているようです。
続くものと、続かないもの
もちろん、私は何でも続けられるわけではありません。
むしろ、必要のないものは、かなりあっさり続かなくなります。
「みんながやっているから」と始めたもの。
「やったほうがいい」と思って始めたもの。
自分にとって何の役割があるのかわからないもの。
そういうものは、いつの間にか消えていきます。
反対に、自分の中で必要なものは、形を変えながら残っていく。
手帳もそう。
英語もそう。
運動もそう。
だから、最近は「続ける」という言葉について、少し考えるようになりました。
もしかすると、続けるというのは、同じことを繰り返すことではないのかもしれません。
自分にとって必要なものが、形を変えながら残っていくこと。
それもまた、「続いている」ということなのではないでしょうか。
そう考えると、「手帳が続かない」という言葉も、少し違って見えてきます。
手帳を続けるための方法を探す前に、そもそも、その人にとって手帳は何のためにあるんだろう?と考えてみてもいいのかもしれません。
手帳そのものが必要なのか。
書くことが必要なのか。
記録することが必要なのか。
あるいは、自分の生活を眺めるための「何か」が必要なのか。
私の場合は、たぶんずっと後者だったのだと思います。
手帳という形は変わっても、そこにあるものは、あまり変わっていない。
そう考えると、私が「手帳を続けてきた」と思っていたものも、実は、ずっと前から自分の構造の中にあったものなのかもしれません。
ここから、もう少し。
ひとつのことを考えていると、別のところで思いがけずつながることがあります。
仕事のこと、手帳のこと、ものをつくること、考えること。
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